馳せる、撮る、馳せる

私は

 

思いに耽る

 

という行為こそ最上級の快楽だと考える。

 

失恋した時こそ、

恋人と聴きたい曲を

あえて選んで聴く。

 

夜空の星と星を繋ぎ、

それに飽きてぼぅっと眺めた月に

恋人を群像させる。

 

眠れない夜には、

卒業アルバムを取り出し、

忘れかけた思い出を独り思い起こし、

それが自分以外には忘却されてるであろう事に、哀愁を感じる。

そして毎日を精一杯生きる決意をする。

そして、朝が迎えに来る。

 

学生時代の数学のノートを取り出し、

せこい丸つけに可愛い自分を発見する。

自分は人間だと客観的に認識する。

 

今までに貰ったラブレターを読み漁る。

消えていった彼女達の想いの行き場が少し気になる。

彼女達の、今が少し欲しくなってしまう。

 

 

消えていく感動こそが

この世で1番美しい。

 

CHANELと書いて、『劣等感』と呼ぶ

最近

いや、大学に入学してから。

やたらと、ブランド物を身に付ける学生を目にする。

 

シャネル、ヴィトン、グッチ、ヴィヴィアン、トリーバーチ

やたらと、目にする。

 

それに対して、

自身の最大限の対抗がポールスミスだった。30000円程度の安物である。

 

なぜ、

対抗してしまったのか。

 

不覚にも、

 

皆んなが持っている物を

持っていない。

 

自分の価値を相対的に高めたい。

 

安っぽいモノを使っていると思われたくない。

 

そんな、

表面上の、

世間体の理由で、

30000円も落としてしまった。

 

 

『劣等感』

人々は、それを埋める手段の一つとして、ブランドに頼る。

 

自身のなさ、不安を補うために、

ブランド物で身を固める。

 

もちろん、良質な製品を使いたいと考える人もいる。

 

ただ、

劣等感を抱きながら、

少し背伸びをして、

いつかこんな風になりたいと、

自信なさげに纏うシャネルなら、

きっと美しい。

 

キラキラに酔いしれる可愛さではなく、

劣等感と不安を抱く蒼い少女は、

未来永劫の美しさを持つと思う。

 

そう思う。

 

いつのまにか、タイプ「センチメンタル」

いつのまにか、タイプセンチメンタル。

高校の頃に、ブログを書き続け、

高校4年生(浪人1年生)になっても、書き続け、

書き続けたソレをおもむろに読み返してみた。

 

文章の中では、全てが自由だという、体反れた戯言がしっくりくる。

そんな感想を持った。

 

これは、1人の表現者として、1つの趣味になる、そう思った。

読み返していて、何かを残していく事は、きっと自分や誰かのためになると考えた。

 

就職活動が終わり、

部活も世代交代、

 

学生生活の中、

部活は最上級生として、

勉学では卒業する為だけの無意味な論文作成に取り組む学生として、

今後は

残していく側になる、的な後付けをしながら

 

テーマがはっきりしない、

自分の世界観を

地球のはしっこで、小さくアピールするブログを始めようと思う。

 

SNSが苦手な理由は、

読者が不特定多数という点。

 

1番の読者は自分自身である。

世界観に浸る為に文章をつづる。

 

1番の目的は、

マイワールドが1つの作品として評価されること。

 

まずは、自分が面白いとおもえるような文章を書く事を考える。

今夜はクオリティの世界を背泳ぎしよう。

 

 

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